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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 04/26/08:40

オブの国籍の謎


タイトルどおりなんですが、留学生についていろいろ考えて、いちばん対応に困るのがオブです…

ジムはまあいい。どこからどう見ても、完璧なオージー(オーストラリア人(笑))ですから。アメリカ版でもオージー英語を話してるらしいしね!

ヨハンは北欧出身でドイツ語名前を名乗ってるあたりデンマーク人で間違いないと思います。北欧の言葉だと、デンマーク語とスウェーデン語がゲルマン語族なので、どっちかがたぶん母語だと思う… 
ただしウチのサイトだとあえてフィンランド人設定を採用してますけども! (単純に私がフィンランドが好きだからですが(笑) ちなみにデンマークは同性カップルの結婚を世界で始めて法律化した国でもあります。デンマーク人は自国人の性格を「楽天家の快楽主義者で商才がある」と称しているっていうから、実にヨハらしいとも思う~

あと、名前からは実家が推測しにくいのがアモンですが、私は、アモたまはインド国籍で間違いないと思ってます。
アモたまは荒廃した貧困地域の出身で、それがガラム財閥の養子になって、と言っていたので、推測されるにパキスタンとの国境あたりの出身なんじゃないかなーと思ってます。そんで、たぶん生まれはクシャトリア階級だったんでしょう。
ガラム財閥もモデルもなんとなくイメージがあって、インドには今破竹の勢いで成長を続けてるミタル・スチール宇っていう重化学・鉄鋼の大企業があり、ガラム財閥も重工業とか鉄鋼とかをやってるってことは、アモたまはパキスタンとかの国境あたりの乾いた地域の生まれだったのが、クシャトリアカーストの生まれだったので、慈善と純粋な親切の結果、巨大な企業の養子にはいった、っていう流れだと思います。

…そして、ここまではいいんですよ。
問題はオブライエンです!! あんたいったいどこの人間なの!?

オブライエンは小柄で筋肉質で、黒人で、性格は自制的でストイック。そんでパパは傭兵だったから自分も傭兵稼業に足を突っ込んでる。学校はウエスト校の出身。
ウエストってからには西部ですか… 
普通にアフリカ系アメリカ人だと思ってもいいんだですけど、なんか、オブとオブパパを見てると、どう見てもアフリカンアメリカンというよりも、純粋にアフリカの人に見えるんだよな~。
まあいちおう理由もあって、ファッション… なにかちょっとエスニックな感じのする装飾品を好んで身につけている。ああいう身なりはアフリカ系アメリカ人っぽくない。さらに、『傭兵』っていう職業じたいが、ものすごーく、アメリカ人っぽくない!!
でも、オブママはサファリスーツの似合う(活動的な雰囲気の)、得意料理がアップルパイの丸顔小柄な黒人美人。そんで『オースチン・オブライエン』はどこからどうみても英語名前。
…これを書き始める前は、オブ、アフリカの人かと思ってたんですが、なんかアメリカっぽい気もしてきたな…
オブママは高等教育を受けたアフリカ系アメリカ人で間違いないと思うのですが、オブパパは正統派クリスチャンではなく、もうちょっとアフリカ土着の宗教の影響を受けてて、かつ、傭兵になるくらいだから紛争や内戦のある国の出身だと思われます。で、出身地域とかをみていると、そんなに熱帯って感じでもなかったですね。もしかしたら高地だから涼しい場所に住んでたのかもしれませんが。
うーん… 新大陸の人だとしたらハイチあたりの人かなあ… ただしオブファミリーは見た目がハイチっぽくない。(なんか南米の血が入ってなさそう) もしもアフリカ大陸の出身だったら、エチオピアあたりのアフリカ人キリスト教徒だと思われます。あのあたりは伝統的にイスラムが多いんですが、オブママは見た目がイスラム女性じゃなかったので「クリスチャン」という説を推してみる。
オブママはアメリカ出身の黒人で、NGOの活動とかでエチオピアとかで仕事をするようになり、現地の男性と結婚して、生まれた子どもがオブ、っていうノリかな…?

GXだからあんまり真面目に考えてないって説も強いですけどね、ええ!!(苦笑

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追記:同じドアをくぐれたら


”もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
 受け取れるのは 手の中がからっぽのときだけ”

”長い間 ここは居心地がよくて
 いつの間に いろいろと拾いすぎた”

”もう 気付いたろう 僕に君のドアは見えない
 おなじドアをくぐれたら と思っていたよ”

”さあ時は来た つないだ手を離すんだよ
 カラになった手で それぞれの鍵をうけとろう”

”おそらく もう 戻れない いつか忘れる 君といた場所”

”振り返らないで くやまないで 怖がらないで どうか 元気で”
”僕は歌うよ 歩きながら”

”いつまで君にとどくかな?”

《BUMP OF CHIKEN ”同じドアをくぐれたら”》



いかん… 放送を見終わった直後は冷静だったのに、今、ものすごく泣きそうな気分になってます。
来週からは、何回水曜日がきても、二度とGXは放映されないんですねー
あの子はどうして、あんな風に鼻歌交じりで、足取りも軽くいっちゃったのか。目の前は荒野で、背中には流れすぎていく時間と、二度とは渡れない時間や世界の隔てる河ってもんが流れてたのに。
でもそこで、くよくよしたり、振り返ったりしないのが十代らしかったんでしょうか。
それでもあの子も、どこかで一度は、《同じドアをくぐれたら と思っていたよ》と思ったのかなあ。

なんでかあの子は、あんな風に、三年間で仲良くなった人たちとの絆を、ひとつひとつ丁寧にほどいて、千切れないようにそっと離して行くような別れ方をしたのか。
卒業と同時に、自分たちと彼らが、それこそ、本当に違う道を歩むことになるって、あの時点で知ってたからなのですかね?
しかし十代はほんとに… なんつうか嘘をつかないから、なんとなく、最後は「じゃあな!」って笑って別れていった気がします。
「またな!」とは絶対に言うまい。でも、二度と会えないなんて言うこともするまい。
あ"-バンプの《同じドアをくぐれたら》を聞いてるとなんか泣きそうです。十代のバカーバカー。なんで、こっちが追いかけられるようなことを一つでも残していってくれなかったんだー。あんな風に背中見せて去っていかれたら、こっちから追いすがれないじゃないかー。

十代のひどさって、「十代には俺(わたし、僕)が必要だ」って思わせてくれないところですよ!
くそう… なんで終わっちゃったんでしょうねGX…(涙

夜中になって未練がましい(苦笑


第180話 ガッチャ! 楽しいGXだったぜ☆


とうとう…終わってしまいましたね、GX。

でも、湿っぽさの無いラストは、いかにもGXらしい! って感じでよかった。そしてたぶんスタッフ(それと原作者のカズキ先生も)がずっとやりたいと思っていたらしい、VS遊戯のデュエルが頭から尻尾までみっちりと詰まっていたのは、ものすごくよかったです。
今回は神BGMのオンパレードだったな!
あと懐かしいカードもオンパレードだったな!!(笑
正統派の遊戯王シリーズファンというのか、無印から、OCGとしての遊戯王をおいかけてきた人にとっては、なおさら懐かしくて嬉しいデュエルだったんじゃないでしょうか。出てきたカードがいちいち懐かしすぎます。
「ギルフォード・ザ・ライトニング」とかさ… 「魔法の筒」や「聖なるバリア・ミラーフォース」とか、「黒魔族復活の柩」とか「天からの宝札」とか。
効果テキストの書き換えによってドジリス登場とか。
そういう無理やりな展開が、ものすごく、王様らしいデュエルでありがとうございます。
ちゃんとオシリス登場の時には、無印の神BGMが流れてたもんね! ガッチャマーン! って!!
作画もなんとなく無印っぽくなってて、十代の腕芸(笑) が見られたのが嬉しかったです。しかし、十代は遊戯ズよりも年上なんですよね… なんかすごく不思議な気持ちです。
遊戯ズが推定、高校二年生で、十代は高校卒業時点だから18歳。
あれがもしも王様と相棒を亜空間にひっぱりこんでのデュエルだったら、あの二人にとってもすごく不思議な相手だったんじゃないでしょうか。
異能を持ち合わせた、でも、何か自分を知っているらしい、不思議な少年デュエリストとの決闘…

なんというか、正直な気持ち、こういう最終回がすごく「GXらしい」という気持ちと、あとはスタッフが最後にしてホビーアニメとしての良識を見せてくれたんだな、って気持ちが半々です。
遊戯王の主役は「決闘」であるということ。たくさんのカードたち、魅力的なタクティクス、誰もが夢見るような理想的なあざやかで華のある展開。
最後、デュエルそのものの結果は水入りになってしまったのですけれども、それが「らしい」っちゃらしいですね。これは結果を見せられない種類の決闘ですもの。
十代にとっての物語は決闘にはじまって、決闘に終わる…

ちょっとオタク的考察がはいると、あれ、第二回のバトルシティの終わった直後ということは、たぶん、普通のバトルシティ編が終わったあと~記憶編の前 みたいな感じなのかなと思いました。
王様が、「名も無きファラオ」から「エジプト第18王朝の少年王アテム」になり、己の生まれた時間の流れへと返っていく直前。
そこに時間がクロスして、「デュエルアカデミアの遊城十代」から「精霊の友である少年デュエリスト」へと変わっていくその瞬間の十代が出会った、ってのはすごく不思議な感じです。

過去と未来が一つになった奇跡…

十代の未来は、たった一人であるっていう孤独と自由と共に、荒野の向こうに続いていた。
王様は己の魂の眠るべき場所である過去へと、多くの仲間たちに見送られ、多くの友たちと共にかえっていった。
…これは、いい好対照ですねぇ(しみじみ
でも十代がDAをほんとの意味で卒業できたのが、王様とのデュエルでだった、ってのはかなり意味深い気がします。
十代は他の何よりも先に”何よりも決闘を愛す”であり、”誰よりも精霊と決闘者の友である”って子だった。
それが初めてアカデミアという場所でたくさんの関係や因縁を得て、でも、それをひとつづつ丁寧に脱いでいって、最後にはまた裸一貫の自由の身に戻った。
あの子が得られたものは、最終的には「記憶」であり「絆」だけだった、本当を言うと生涯を共にするような「仲間」ではなかった、というのがちょっと寂しい気もしつつ、それが十代らしいといえば、らしいのかもしれません。同伴者となったのはファラオと大徳寺先生、それにユベルだと思うと、みんな人間じゃないからなあ。
「決闘(デュエル)は楽しい!」っていう無邪気さ、屈託の無さを取り戻して、そうして精霊と人間の中間の存在になって、まっすぐにどこまでも走っていく、っていう軽やかな魂と共に去っていった十代…
明日香さんが「私たちの青春を吹き抜けていった、風…」といっていたように、十代は、なんていうか本当に、最後にして「人間である」ってことを手放しちゃったのかもと。

走り抜けるようにしてGXって作品をスタートさせて、ラストにしてまた未踏の荒野へと走り去っていった十代。
他のみんなが少しづつ大人になっていって、おなじままでいられなくなって、そうして迷ったり悩んだりした末に自分の人生って場所を踏みしめて歩いていこうと思うようになったのに、十代は、最後まで「決闘」だけを友にする道を選んで、みんなとは違う場所へと走っていってしまった…
やっぱし青春の幻影だったのかなあの子は。
あの子の言ってた「失ったもの」ってのが、もしかしたらその逆で、「人間であること」ってものを手放す道をえらんだのかなあともちょっと思いました。

「千年パズルの意思」でしかなかった闇の存在が、名を得て、絆を得て、人間らしい心を得る、って物語の逆回しとしての
「遊城十代」っていう少年が、闇の力を得て、異能を統べる力を得て、人間である己をさなぎのように脱ぎ捨てる、というGX

そんで二つの物語はエピローグにして、一瞬、お互いに交差しあった。
人間ではなく、かといって他の何者でもない存在である二人が、たった一度、「決闘」ってものを介して繋がりあった。
そうして物語はページの外へ。
遊戯くんとアテムの物語はあの後、また違う次元で、終結を迎えた。
けれど十代は、猫一匹のほかには精霊たちだけを友に、楽しげで軽やかな足取りで、物語から去っていった。
それでも、なんとなく、物語が限りなく明るい雰囲気をまとっているのが、GXらしかったと思います。
十代は、決闘者たち全ての友でありつづけ、明日のことが分からないのに未来のことだけ分かっているような少年たちの前になら、いつだって現れるのではないか。
十代は「大人になった」とかいわれつつ、ものすごく、”永遠の少年”って感じがすると思います。ピーターパンというよりもティンカーベルに近い(笑 もう一つの世界への水先案内人。優しい怪物”ジェントル・モンスター”たちのともがらである少年。

GXってどことなく童話っぽい、というか、おとぎ話っぽい雰囲気があるな、と思っていたのですが、物語そのものがこういう風に終わると、ますますそんな気持ちです。
”ナルニア国物語”とか、”はてしない物語”とかそのへんの、「行きて戻りし物語」。
ていうか、自分で言ったガセネタだったんですが、十代はやっぱり”青春の幻影”だったのですかね~。

まとまらないのですが、とりあえずこんな感じ。
とにかく、GXスタッフの皆様、ほかにもたくさんの皆様、本当にありがとうございます。《遊戯王GX》って作品と出会えた感謝を、すべての人に込めて! ありがとうございました!!

もってけGX!


最初に事務連絡を。

23日に閲覧制限ページの請求をいただき、また、翔ちゃんと十代のPL希望メールを下さった方へ。
おそらくはエラーのためだと思いますが、メールの本文がすべて白紙になってしまっておりました。たいへんお手間かけますが、折り返し連絡をいただけると嬉しいです。

同人誌の通販の申し込みをいただいておりました”柴田明日菜”様。
発送した本が返品されてしまいました。こちらでまたメールも差し上げますが、お手元にお届けするまでにまた時間がかかってしまいそうです… 大変申し訳ありません。連絡をいただけると嬉しいです。

えーと、明日は早いもので、GXの最終回ですね…
三期ラストで最終回覚悟を一回やってたせいか、気持ちはかなり平静です。でもハマってから一年たたずに放映終了ってさみしいなあ。今はぼちぼち発売しはじめてる三期のボックスなぞを見返しております。
旧友のギリさん(ジョジョオタ)が、ようやく回線を光にかえたってことで、GXを見てくれてるみたいです。初めて見た人の感想っていいね。自分の気持ちも当時に戻れる。
とりあえず二人共通の感想としては、「なんだ、このぱっつんぱっつんの超展開アニメは!?」というね(笑

ここまでぱっつんぱっつんのてんこ盛りアニメって今時珍しいですよねえ(しみじみ)
もっというと、いい意味で自重しないアニメ? 最近のアニメは、あんまり自分が見てないせいかもしれませんが、自重しすぎだよ…もっとはっちゃけようよ、という気持ちだったことが多かったので、GXはホントに嬉しかった。毎回、「こりゃあ無いだろ!?」という展開を次に準備してくれてる作品なんて滅多に無い。
ぜんぜんクオリティって意味だと別なんですけども、思い出したのは「ボンバーマンジェッターズ」っていうアニメでした。これはすごくマイナーだったんだけども、クオリティの高い、そして、作品製のたかい佳作だったのですよね。
「一人の英雄が死んだ。そして…」っていうお話。まあ、変ないいかたをすると、十代にも亮さんにも去られてしまった翔ちゃんが、気持ちの整理をして、そして、ゆっくりと成長していく、っていう話みたいな感じだったかなあ。

子供向け作品にはヒーローが常に必要だと思う。
子どもには、ヒーローが必要なのだ。
でも、今の世の中で、ヒーローが戦うということは、とても難しい。
正義とか仲間とか、そういうものがすごく分かりにくい。信じた仲間も裏切るかもしれないし、正義だと思ってたものが他の誰かにとっては単なる暴力なのかもしれない。
それでも、正しさとか明るさってものを忘れないで、ヒーローであり続けるにはどうしたらいいのか。
問い続けることを忘れないで、それでも、ヒーローであることを棄てないことができるか。
そういう問いかけを正面からやってくれて、でも、ちゃんとラストでは物語をかなぐり捨てないで、「ヒーロー」をえんじつづけてくれた十代が、私は、すごく好きです。

自分に正直にいきることも大事だけど、他の誰かのために生きること、それも、「誰かのために」を言い訳にするんじゃなくて、本当に、成長し、旅立っていく誰かのために生きることができるってのは、すごく尊いことなんじゃないかな。
「キミのために」誰かを殺し、「キミのために」誰かの幸せを踏みにじり、「キミのために」それを正義だと信じる… そういう道にそれちゃうのは簡単です。
それに逆に、「正義ってものが分からないから」「信じたって裏切られるから」「誰かに傷つけられたくなんてないから」、ヒーローであるってことを棄てちゃうのも簡単だ。
GXの面白いところは、デュエルってものを大前提として棄てない世界にもかかわらず、未来が不安に満ち溢れていて、もしかしたら夢は破れるかもしれないし、信じた人もさっていくかもしれない、変わってしまうかもしれない、というすごくモラトリアムな世界を描いてたってところだと思います。
一期のメインメンバー、翔ちゃん、万丈目、明日香さん、亮さんの四人は、すごく等身大なティーンエイジャーだったと思います。慢心してみたり、夢があったり、コンプレックスまみれだったり、毎日がお祭りみたいで楽しかったり、誰かを好きになったり嫌いになったり。
…私は年齢的にはこいつらよりかなり年上ですが(苦笑) でも、一番感情移入できるのは亮さんかなー… 夢とか誇りのために葛藤して傷ついて、それでぼろぼろになって、でもまだ人生は終わらない。ちゃんと生きていかないといけない。
でも誰も、美しく死んでいって、英雄になったりなんてしなかった。
それは十代のおかげだよなーと思います。

なんかアレですよね、語呂合わせですけど、ほんとに十代は「十代の少年」だったんだよなと思う。まじで(笑
ティーンエイジャーっていういろいろ大変な年頃のとき、傍にいてくれて、夢とかそういうものを教えてくれて、たまに辛いときには支えてくれる、いっしょにたくさんバカなこともやってくれる、失敗して後悔してぼろぼろになっても、「それでも明日はきっといい日」って笑ってくれる。
それが十代自身にとって辛い生き方だったのかそうじゃなかったのかは、もう、なんていうかいろいろ分かりませんが。ギリさんも三期を見て、「十代の地獄めぐり」って言ったらそうだと言ってたしねー
でも、あの子がいなければ、たぶん、みんなそういう季節を、いろいろあったけどいい思い出で、これを忘れないで前に進んでいける、って前向きに卒業なんてできなかったんじゃなかろうか。

青春の幻影…

でも、みんなが自分の物語の主人公になって、ヒーローなんていらなくなったから、十代にもこれからの未来があるんじゃないかな、って気もします。
ほんとに高校時代とかなんて一瞬で、でも、すごーく大事な時期でもあると思う。これからも人生は続く、でも、この時期とか季節ってのは二度と返ってこない。たとえばどんな未来があっても、「あのころこんなにも幸せだった、あのころあんなにもみんなが大好きだった」って思えるのは一生の宝物になる。
私の場合、小説を書き始めたのが、高校時代でしたからね。当時の友だちは今でも大好きだし、いろいろあったにしろ、すごく幸せだった。そんで二次というか、アニメを見て、心から夢中になったのもあの頃が最初(笑) 
そんであの頃一番好きだった最愛のアニメと同じくらい好きになれたアニメって、あれ以来、GXが初めてだったので…
八方破れのギャグで、でもキャラがものすごく魅力的で、シリアスなときはものすごくシリアスで。そういうのはアレ以来です。タイトル明かすと年齢がバレるのでヒミツですが、実は十代は、私の初恋的だったその作品の主人公に、ほんのちょっとだけ似てるのですよ~。

十代が不憫でないというと嘘になるんですが、でも、あの子が最後までみんなのヒーローでいてくれたから、こういうアニメができあがったんだと思うと、「どうして十代が」というよりも、「がんばってくれてありがとう」といいたい気分です。
明日は最終回! 最後に、みんなが幸せであってくれればそれで十分です。
十代がどこかへ旅立つんだったら、その旅路にいつであっても希望があるように、そして振り返ったときに見える思い出は常に幸福と共にあるように、と祝福できるようなラストとなりますように。

明日が楽しみです!


…そして、ハネクリが相棒の手に渡り、それが一話の十代の手に渡るというエンドだと、それは典型的なタイムパラドックスEDになってしまうので、それだけちょっと心配(笑

な、なんだってー!


みくしーのニュース通信で見つけてびっくりしたのでちょっと抜粋

” 同氏が昨年、出生登録所で調べたところ、「ジェイデン」という名前には12通りの、「エイデン」と「アメリア」にはそれぞれ8通りの異なるつづり方があったという。”
(ロイター通信・日本語版)

英語で最近珍しい名前をつけるのが流行っているという記事から。
ジェイデン… ”Jaden”と書くと英語版GXの十代なんですが、原典を見つけられないと思ったら新出名前だったのですね。ちなみに”Jade”は”翡翠”の意なので、このつづりからだとそういう意味合いをついつい感じてしまうのですが、十代と翡翠って重なるイメージがほとんど無い…

ところで今、《マイグレイン》さまというサイトで絵ちゃをやっていらっしゃいます。
管理人の田畑マゼン太さまとこもっていて、「宣伝してもいいですか?」とうかがったらOKだそうなので、リンクを張ってみます。
田畑様は十受とか吹受とかあと二十代のふたなりねたとか(笑)がお好きらしいので、よろしければ、ご一緒されたいかたはどうぞ~
《マイグレイン》:http://migraine.xxxxxxxx.jp/
なんか気付いたら女装メイドパラレルの話でさんざん盛り上がってしまいました(苦笑)
参加してくださった方、ありがとうございました~