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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 04/27/05:37

第180話 ガッチャ! 楽しいGXだったぜ☆


とうとう…終わってしまいましたね、GX。

でも、湿っぽさの無いラストは、いかにもGXらしい! って感じでよかった。そしてたぶんスタッフ(それと原作者のカズキ先生も)がずっとやりたいと思っていたらしい、VS遊戯のデュエルが頭から尻尾までみっちりと詰まっていたのは、ものすごくよかったです。
今回は神BGMのオンパレードだったな!
あと懐かしいカードもオンパレードだったな!!(笑
正統派の遊戯王シリーズファンというのか、無印から、OCGとしての遊戯王をおいかけてきた人にとっては、なおさら懐かしくて嬉しいデュエルだったんじゃないでしょうか。出てきたカードがいちいち懐かしすぎます。
「ギルフォード・ザ・ライトニング」とかさ… 「魔法の筒」や「聖なるバリア・ミラーフォース」とか、「黒魔族復活の柩」とか「天からの宝札」とか。
効果テキストの書き換えによってドジリス登場とか。
そういう無理やりな展開が、ものすごく、王様らしいデュエルでありがとうございます。
ちゃんとオシリス登場の時には、無印の神BGMが流れてたもんね! ガッチャマーン! って!!
作画もなんとなく無印っぽくなってて、十代の腕芸(笑) が見られたのが嬉しかったです。しかし、十代は遊戯ズよりも年上なんですよね… なんかすごく不思議な気持ちです。
遊戯ズが推定、高校二年生で、十代は高校卒業時点だから18歳。
あれがもしも王様と相棒を亜空間にひっぱりこんでのデュエルだったら、あの二人にとってもすごく不思議な相手だったんじゃないでしょうか。
異能を持ち合わせた、でも、何か自分を知っているらしい、不思議な少年デュエリストとの決闘…

なんというか、正直な気持ち、こういう最終回がすごく「GXらしい」という気持ちと、あとはスタッフが最後にしてホビーアニメとしての良識を見せてくれたんだな、って気持ちが半々です。
遊戯王の主役は「決闘」であるということ。たくさんのカードたち、魅力的なタクティクス、誰もが夢見るような理想的なあざやかで華のある展開。
最後、デュエルそのものの結果は水入りになってしまったのですけれども、それが「らしい」っちゃらしいですね。これは結果を見せられない種類の決闘ですもの。
十代にとっての物語は決闘にはじまって、決闘に終わる…

ちょっとオタク的考察がはいると、あれ、第二回のバトルシティの終わった直後ということは、たぶん、普通のバトルシティ編が終わったあと~記憶編の前 みたいな感じなのかなと思いました。
王様が、「名も無きファラオ」から「エジプト第18王朝の少年王アテム」になり、己の生まれた時間の流れへと返っていく直前。
そこに時間がクロスして、「デュエルアカデミアの遊城十代」から「精霊の友である少年デュエリスト」へと変わっていくその瞬間の十代が出会った、ってのはすごく不思議な感じです。

過去と未来が一つになった奇跡…

十代の未来は、たった一人であるっていう孤独と自由と共に、荒野の向こうに続いていた。
王様は己の魂の眠るべき場所である過去へと、多くの仲間たちに見送られ、多くの友たちと共にかえっていった。
…これは、いい好対照ですねぇ(しみじみ
でも十代がDAをほんとの意味で卒業できたのが、王様とのデュエルでだった、ってのはかなり意味深い気がします。
十代は他の何よりも先に”何よりも決闘を愛す”であり、”誰よりも精霊と決闘者の友である”って子だった。
それが初めてアカデミアという場所でたくさんの関係や因縁を得て、でも、それをひとつづつ丁寧に脱いでいって、最後にはまた裸一貫の自由の身に戻った。
あの子が得られたものは、最終的には「記憶」であり「絆」だけだった、本当を言うと生涯を共にするような「仲間」ではなかった、というのがちょっと寂しい気もしつつ、それが十代らしいといえば、らしいのかもしれません。同伴者となったのはファラオと大徳寺先生、それにユベルだと思うと、みんな人間じゃないからなあ。
「決闘(デュエル)は楽しい!」っていう無邪気さ、屈託の無さを取り戻して、そうして精霊と人間の中間の存在になって、まっすぐにどこまでも走っていく、っていう軽やかな魂と共に去っていった十代…
明日香さんが「私たちの青春を吹き抜けていった、風…」といっていたように、十代は、なんていうか本当に、最後にして「人間である」ってことを手放しちゃったのかもと。

走り抜けるようにしてGXって作品をスタートさせて、ラストにしてまた未踏の荒野へと走り去っていった十代。
他のみんなが少しづつ大人になっていって、おなじままでいられなくなって、そうして迷ったり悩んだりした末に自分の人生って場所を踏みしめて歩いていこうと思うようになったのに、十代は、最後まで「決闘」だけを友にする道を選んで、みんなとは違う場所へと走っていってしまった…
やっぱし青春の幻影だったのかなあの子は。
あの子の言ってた「失ったもの」ってのが、もしかしたらその逆で、「人間であること」ってものを手放す道をえらんだのかなあともちょっと思いました。

「千年パズルの意思」でしかなかった闇の存在が、名を得て、絆を得て、人間らしい心を得る、って物語の逆回しとしての
「遊城十代」っていう少年が、闇の力を得て、異能を統べる力を得て、人間である己をさなぎのように脱ぎ捨てる、というGX

そんで二つの物語はエピローグにして、一瞬、お互いに交差しあった。
人間ではなく、かといって他の何者でもない存在である二人が、たった一度、「決闘」ってものを介して繋がりあった。
そうして物語はページの外へ。
遊戯くんとアテムの物語はあの後、また違う次元で、終結を迎えた。
けれど十代は、猫一匹のほかには精霊たちだけを友に、楽しげで軽やかな足取りで、物語から去っていった。
それでも、なんとなく、物語が限りなく明るい雰囲気をまとっているのが、GXらしかったと思います。
十代は、決闘者たち全ての友でありつづけ、明日のことが分からないのに未来のことだけ分かっているような少年たちの前になら、いつだって現れるのではないか。
十代は「大人になった」とかいわれつつ、ものすごく、”永遠の少年”って感じがすると思います。ピーターパンというよりもティンカーベルに近い(笑 もう一つの世界への水先案内人。優しい怪物”ジェントル・モンスター”たちのともがらである少年。

GXってどことなく童話っぽい、というか、おとぎ話っぽい雰囲気があるな、と思っていたのですが、物語そのものがこういう風に終わると、ますますそんな気持ちです。
”ナルニア国物語”とか、”はてしない物語”とかそのへんの、「行きて戻りし物語」。
ていうか、自分で言ったガセネタだったんですが、十代はやっぱり”青春の幻影”だったのですかね~。

まとまらないのですが、とりあえずこんな感じ。
とにかく、GXスタッフの皆様、ほかにもたくさんの皆様、本当にありがとうございます。《遊戯王GX》って作品と出会えた感謝を、すべての人に込めて! ありがとうございました!!

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