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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 06/23/12:56

探しても見つからない


すげー読みたいのに…… 三沢×タニヤっち。

三沢とタニヤっちの、頭一個はありそうな身長差がツボ。
「やることを見つけた」といってタニヤっちと残ることを決めた三沢がむちゃくちゃカッコよかった先週。
なんか三沢って、自分のやるべきことをきちんと見定めたら、カッコよくなるんじゃないか……!! 頭がよくて、しっかりしてて、物事を冷静に判断できるけれど人情味も失わない男、三沢(空気だけど)。
もうタニヤっち、これは、三沢を簀巻きにしてでもお持ち帰りするしかないんじゃないかしら。ああいう婿をもらえば、きっと頭がよくて健康な虎の子がポコポコ生まれてくるはずだよ! 部族の未来も安泰だよ!!
笑顔の動画サイトで、三沢×タニヤっちMADが複数あるのに萌えもえしております。しっかし、GXの女性陣はしっかりしてて元気な子ぞろいですねえ…… 明日香といいタニヤっちといい。13歳で高校に入学してきたレイも、そう考えると、むちゃ行動力あります。
でもなんか三沢とタニヤっちが結婚式をやったら…… なんつうか確実に”マンモス料理を食いながら乳酒を樽で飲む”レベルの死ぬほどワイルドな内容か、あるいは、ウエディングドレスのタニヤっちが三沢を姫抱っこしてウエディングロードを歩いてる気がする。

GXのノーマルCPは、マルレイ・吹明日(ブラコンシスコン兄妹)が押しです。
マルレイああ見えてレイちゃんがまだ13歳だというのに萌え! そして、しっかりしてて頭がよくてカッコいい明日香が、ああ見えて実は奇人・変人・10JOINに甘えたな妹だと萌え。
うちの明日香さんは吹雪さんもカイザーも大好きですが、恋愛感情とかいうものとは違うと思われます。明日香さんは本人の言うとおり「デュエルに恋してる」ので、男子はあまり必要ないらしい。カイザーは半分兄のようなものなのであんまり異性だとは思ってません。そしてカイザーも朴念仁なので、明日香を妹分としてしか見ていません……

ところで、GX女装・女体化系サイトをみてまわっていたのですが、ヨハンって、女装・女体化が死ぬほどかわいいですね。
フリルか。フリルのヒトだからか。
色白・眼がおっきい・声かわいい・髪の毛と眼が緑色、という色あわせのせいか、ドレスだのコスプレだのが無茶苦茶似合います。たまにヨハンアカデミア女子Verとか見るのですが、フリルのブラウスにジャケット、ミニスカートにブーツカバーという格好がむちゃくちゃ可憐な感じに。
見た目はかわいらしくて、精霊使いの魔法少女系だけど、やんちゃで物事を気にしない性格の明るい子。萌え!
次点で似合うと思うのは吹雪さん。明日香と似た系統の線が細い美形な上に、女装は好きそうだし、女の子だったらすごくおしゃれそうだから。よく見ると眼が涼しげな美青年なんですよね…… 色も白くて、体つきもちょっと華奢な感じ。ダークネスのときはこんな人だとは思わなかった。
あとは誰だろう。エドとか? 天才系ツンデレ美少女デュエリスト。クールだけど年下。あ、オベリスクブルーの女子制服が似合いそう。すげえ細そうだし。
ヨハ子(笑 はたぶんスタイルもすごくいいでしょう。なんか胸がむちゃくちゃありそうな気がする。吹子はスタイル抜群だけど、どちらかというとスレンダー系? 黙って立ってれば絵画のような美女ですが、発言は90%は妄言。エド子は幼児体型。胸はぺったんこだし足は棒のよーに細い。
……そして肝心の十代の女体には、そこまでピンとこなかったという罠。やっぱ十代はあの格好が一番です(笑

ところで、まだ詳細は報告しませんが、自分、某所でとある企画に一枚噛むことになりました。
もしかしたら近日中にリンク&詳細をUPするかもしれません。

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TARN-149 感想


ユベ公の台詞がとにかくインパクト過ぎました。脚本さん、いい仕事をしてるよ……!!
ユベヨハン(笑) の口調が完全にユベルになってるのは、もう、ごまかす必要が無いからなのでしょうか。とにかくこれはユベルの台詞なのだと思うと比較的冷静に聞けました。
……同時に哀しくなった。

「愛する人のいない世界で生きるなんて、ボクには考えられない」
「苦しみ、痛み、そして喜び、すべてが十代がいてこそ、はじめて意味があるものになるのだから」

ユベ公は、ほんとうに十代が好きだったのだなぁ……
それが極端に歪んだ形だとしても、間違いなく、彼は十代を愛していたんだと思いました。一回目に見たときは、とにかく、”悪魔的”としか形容のしようがない言動、行動に目が奪われてましたが、二回目に見ると、なんだかしんしんと哀しい気持ちを感じずにはいられなかった。
アモンのことを《携帯食》と言ってはばからなかったり、「王様って便利だねえ!どんな言い方だって正当化できるんだ」(うろおぼえ)あたりは幼い子ども特有の残忍さみたいなものをとにかく感じたのですが、それら全てがユベルが十代を取り戻そうとしている、その、必死の様の表れなのだと思うと…… なにか…… ユベ公が十代と出会い、おそらくは拒絶され、深い深い絶望の中で狂気に陥るのだろうと思うと、今から哀しくなってしまう。

遊戯王のスタッフは、こういう子を、たぶん助けてはくれないだろうと思います。
バクラが、闇マリクが、最後に、救われなかったみたいに。

バクラは間違いなく邪悪な子でした。闇マリちゃんだって。
でも、同時に彼らは、可哀想な子でもあったと思います。だって、闇マリちゃんは顧みられることの無い闇に他ならなかったのだし、バクラは最後まで誰からも憐れみ一つ注がれることなく、闇の彼方へと消えた。
けれど、彼らが邪悪に成らざるを得なかったのは、必ずしも、彼らのせいじゃなかった。バクラは己の故郷を滅ぼされたゆえに、闇マリちゃんは憎しみから生まれてきたがゆえに、ああ生きるしかなかった。そんな彼らが可哀想でならない。人が死に行くことはいつだって哀しいけれど、もし、その死に一滴の涙すらも注がれなかったのなら、なおさらに哀しい。

―――今回、ユベヨハンがなんとなく闇マリちゃんぽい感じになってるなぁと思ったのですが(笑)
十代が今求めているのは《ヨハン》であって、自分ではないと知ったとき、ユベルはどうするんだろう。十代からすべての愛するものを奪ったら、自分のところに帰ってきてくれると思っているのかなあ。でも、カイザーは、少なくとも死んでなお、十代の中にいる。もう十代はひとりぼっちじゃない。ユベルといっしょにいたころの、ユベルしかいない、ひとりぼっちの、ちいさな十代は、どこにもいない。

凍りついた真空の闇の中、ただ、もういちど十代に出会えることだけを信じて、孤独や苦しみ、哀しみに耐えてきた彼を思うと、なんだか涙が出そうです。
なんとかして、ユベルを十代の胸の中に帰ってあげさせることはできないのかなぁ…… それをやるには彼はあまりに手を汚しすぎているのは分かっているんです。危険すぎることだって分かってるんです。しかもユベルは、自分の望みをかなえるためなら手段を選ばなさすぎる。きっと十代は、彼といっしょには、いられない。
でも、なんとかして、もう一回、いっしょにしてあげることは出来ないのかしら……

ユベ公を見てるとなんだか哀しくて哀しくてしょうがないです。
なんとなく、歌の、《パフ・ザ・マジック・ドラゴン》を思い出す。

パフは魔法のドラゴン、海のそばに住んでいた。
秋の霧が立ち込めるホナリー島で、楽しそうに遊んでいた。
小さなジャッキー・ペーパーはいたずらのパフが大好きで
紐やロウや、面白いおもちゃ
いつも持って遊びに来た。

パフは魔法のドラゴン、海のそばに住んでいた。
秋の霧が立ち込めるホナリー島で、楽しそうに遊んでいた。
パフは魔法のドラゴン、海のそばに住んでいた。
秋の霧が立ち込めるホナリー島で、楽しそうに遊んでいた。

パフとジャッキーは旅をした。
帆をいっぱいに膨らませた船に乗って
パフの大きな尻尾に座った。
ジャッキーは見張り番
高貴な王様と王子様は彼らに出会うとおじぎした。
パフが大きな声で名前を告げると、海賊船は旗を降ろした。

ドラゴンの命は永遠だけれど、少年は子供のままではいられない。
手作りの旗や大きな輪っかは
やがて他のおもちゃに置き換えられる。
ある暗い夜、そのときはやってきた、ジャッキーはとうとう来なかった。
その日から無敵のドラゴン、パフは
大声で吠えることはしなくなった。

悲しみでうなだれるパフ、
緑色のうろこは雨のように剥がれ落ち、
昔遊んでいた桜の道にも、もう行くことはしなくなった。
大事な友達がいなくては、もう勇気も奮い起こせない。
無敵のドラゴン、パフは
悲しそうに自分の穴に帰っていった。

デッキ萌え、の話


私はそもそもはTCGプレイヤーじゃありません。TRPGプレイヤーです。
無印をご存知の方なら断片的にご存知だと思われるゲーム、TRPG。《テーブルトークロールプレイングゲーム》の略で、TCGとは親戚関係…… ていうか、TCGの叔父? あたりの関係にいるゲームです。

ルールにのっとって紙の上でキャラクターデータを作成し、それのキャラクターを口頭で《演じる》ことによって遊ぶゲーム。つまりはオンラインRPGともちょっと似てるのですが、あっちはあそんだことがないので差は分からな……(死)
まあ、明確に特徴的な部分は、シナリオはすべて、全ての物語進行およびNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)の運営を司るGMによって進行されるという部分です。その他の参加者はプレイヤーとなり、PC(プレイヤー・キャラクター)と呼ばれる自分の分身を操ることになります。
そして、遊戯王を読んでいるだけだと大いに誤解されるポイントを一つ!(笑) TRPGは基本的には《勝ち負け》の存在しないゲームです。強いて言えば、『セッション』と呼ばれる一回のプレイの中で、いかに活躍したかというのがPLの勝ち負けを決めるでしょうし、PLを燃え上がらせ、盛り上がらせることが出来たか否かでGMの勝ち負けが決定する、といってもいいでしょう。

とはいえ、簡単に勝っちゃうくらい弱い敵じゃ面白くない、ってね!
TRPGにおける敵キャラクターはGMが作成するため、基本、どんだけ無茶なスペックでも可能なんですが、基本的には、PLが死力を尽くして戦い、全弾を打ちつくしてやっと勝てるくらいが楽しいと思います。私は基本PLしかやらない人間なのですが、そういうバトルのほうが面白い。仲間たちと協力し、それぞれの出来ることを一生懸命考えて、やっと勝てる。そういう戦闘のほうが絶対に楽しい。

で、最近私がよく遊んでるシステムは、『ダブルクロス』及び『ブレイド・オブ・アルカナ』の二本。双方、FEARと呼ばれる、現在、最もメジャーな会社から出されているシステムです。
『戦闘偏重でバランスがよろしくない』と、古くからのプレイヤーからはいまいち評判がよくないこともあるシステムですが、『偏重している』といわれているだけあって戦闘の華やかさ、面白さはかなりのものです。かつ、システムがシンプルですが、手札がとにかくたくさん用意されているので、作れるキャラクターの幅もたいしたものです。

『DX』は、オーヴァードと呼ばれる超能力者たちを主人公にした現代モノ、『BofA』は聖痕者と呼ばれる英雄を主人公にした中世ファンタジー、と世界観は違いますが、システムはかなり似通ってます。
すなわち、『2~3個の系統から好きな系統を選択し、そこから技能を選ぶことによって、キャラクターを作成する』ということ。
その系統は、『DX』だと8つのシンドローム、『BofA』だと22のアルカナ(その名のとおりタロットにちなんでいます)から選ぶのですが、この段階で、すでにキャラクターの傾向はある程度決定します。補助に向くキャラを作るか、接近して殴るか、遠くから撃つか、複数を相手にするか、火力を重視するか、防御力を重視するか。
そして、このシステムに双方導入されているのが、それぞれ『ジャーム化』『殺戮者(マローダー)堕ち』と呼ばれる、キャラクターの没収システムです。
技能を使用すると、それぞれ、DXでは『侵食率』、BofAだと『DP』と呼ばれるポイントが溜まっていきます。演出的にはそれは負の感情、みたいなもので、一回のセッションが終わったときに所定の判定をし、ポイントが一定値を超えてしまっていると、キャラクターはそれぞれ、闇への誘惑へ囚われて、NPCとしてGMに没収されてしまいます。

……さあーて、ここでやっと出てくる遊戯王の話(笑) なのですが。
私は三期から見ているせいか、どうにも、今の展開が、FEARゲーみたいだなぁ、と思わずにはいられないのですよっ。
そもそも、手持ちのエフェクトを組み合わせて敵へと攻撃する、というFEARゲーのシステムそのものがなんとなくDMっぽい。攻撃に適したエフェクトをベースに、そこに『命中力を上げる』『火力を上げる』『敵の防御力を貫通する』などというエフェクトを次々と重ねていきます。発動できるタイミングというのもエフェクトによって違い、そこを見計らわないと、敵の手で一気に全て無力化、なんていう哀しい結果にもなりかねない。そして、何よりも、積み込みすぎたコンボは成功率が落ちるし、あんまり代償が高すぎると、『勝負には勝ったけどキャラクターが堕ちた』なんていう哀しい結果になってしまう。
ええーと、彼の覇王編一連の流れなんて、私には、「うわあ、FEARゲーのキャンペーンみたい」って感じなのですけどね?(笑

十代が仲間を失ったことにより、代償を大量に支払いすぎて、結果、ジャーム化もしくはマローダー堕ち。
NPCとして没収されて『覇王』として再登場。そこへジムが『賢者の石』もしくは『奇跡:封印(逆位置)』を使用して命と引き換えに十代をPCへと復帰させる。

FERAゲーには特徴的なものとして、PC同士の感情をあらわすものがあり、DXでは『ロイス』、BofAでは『因果律』と呼ばれるものがあります。ようするに誰彼にかんしてどう思っている、精神的に絆や執着を感じている、というもので、これがたくさんあればキャラクターはジャーム化しにくい(DXの場合)。
しかし、ロイスというのは『人と人との絆』を意味するものなので、相手に対して失望した、あるいは相手が死んでしまった、などという場合は、自動的に消滅してしまいます。(正確には『タイタス』と呼ばれる別の要素に変化するのですが……) 
シナリオ中で大量のロイスを失った場合、キャラクターは、まず、『還ってくる』ことができなくなります。ラストで侵食率を計算して引き下げるときにはロイスの数が関係してくるからです。つまり、シナリオ中でたくさん戦い、侵食率が大量に上昇し、しかもロイスを殆ど失っている、という場合、そのキャラクターはもうダメ(苦笑)
しかもロイスはスロットの数が決まっていて、最高で9つまでしか取れません。その場合、十代だったらどうなってたか。

「あー、ロイスが5つもタイタス化したあ! ブロンのせいでヨハンが死んだって思ったことはヨハンまでタイタス化したっ。十代の残りのロイススロットはいくつだよ!? 3つ!? ダメじゃんこんだけ戦ってるんだったら
、侵食率で絶対に堕ちるって!!」
……とか思いながら覇王編を見ていた昔の私。

ま、TRPGにおいてはパーティそのものがひとつのデッキみたいなもんなので、一人がなんでもかんでも出来る必要はないんですけどね。分業がうまく行っているパーティほど強いというのもまた真理です。
そこがTCGと違うのですが、しかし、そういう関係があるために、デュエルを見ているとTRPGの戦闘をみているようでやたらと燃えます(笑) 
力押しでひたすら叩き込み続けるデッキというのも面白いし、墓地にガンガン送って特殊効果というのもイイ。自分のLPを削りながら戦うマゾデッキ(笑) というのも、自分がもしもPCとして使っていたら…… と考えると、非常に楽しいものです。
そういう意味ですごく好きだったのは一期のサンダーのファンデッキだったんだけどなぁ。『LP0のモンスターのみでデッキを構成』なんてむちゃくちゃ燃えます。だって、おもしろいじゃん!?

―――まあ、ここまで語っといてナンなんですが、私はあんまり戦闘は強くないんですけどね。
でも、現在参加しているキャンペーン(ドラマ形式で同じキャラクターを使って長い話を遊ぶこと)だと、自分の身体を自動人形に改造した格闘家の女従者をやっています。行方不明になった主人を探し、残り少ない寿命を押して、はるか辺境の地へ赴いた…… ていうとなんかヘルカイザーみたいだな。
スペックは自分でもイヤになるくらいへたくそ(苦笑)なのですが、自分のHPを代償として支払いながら戦い続ける、身体を変形させて攻撃力をUPする、格闘家としての能力で敵の防御力を無視する、なんていうことは可能です。基本的には騎士の宿命を持っているため守備力が非常に高いキャラクターと背中を預けあい、お互いをかばいながら、魔法使いキャラの援護を受けつつ戦うのが基本スタイルです。
前回のセッションだと、かわいがっていた年下の魔法使いキャラの女の子が、『殺戮者(マローダー)堕ち』をしてGMに没収されてしまいました。GMにとっても予想外の事態だったようです。
次回以降あの子が敵になって出てくんのかなあ、そしたらまともに剣を向けられる自信がないなあ…… などと思いながら、25日にはセッションです。楽しみ~。

そういう風に考えると、GXキャラってFEAR的にはどういう感じなんだろ……
ファンタジーベースの『BofA』で考えるか、超能力モノの『DX』で考えるかでかなり違いますけれども、うーん。
でも、確定なのは、ヘルカイザーは確実に代償の死ぬほど高いエフェクトを取り巻くって、毎回毎回、「お前絶対に堕ちる!」というところまで行きまくってるだろうということです(笑  火力が高いエフェクトほど代償もキツくて、前線で戦ってると堕ちやすいというのはFEARゲー共通。事故(ファンブル)率も当然高くなります。
まーアレか、『エフェクトス=アクシス=オービス』ってところ? ……前回マローダー堕ちした子とまったく同じだなあ。どうなるんだろう。

とまれ、TRPGプレイヤーの呟きでした。
デュエルは燃える! という話です(笑

今週の感想というかなんていうか


今週はちょっとあまりによすぎて他の人の感想を見るのが怖いです。
でも自分は感動した。カイザーの生き様のあまりの気高さに。……『気高い』という言葉、『皇帝』という異名が彼ほど似合う人はいないと思いました。彼はなんとなく帰ってこられないような感じがするけれども、もしも彼が選んだ最期がこれだったのならば、私は、讃えられるべき栄光に満ちたエンディングだったと思います。彼の言うとおり『皇帝』には墓標など必要ないのかもしれません。その武勲さえあればいい。孤高にして偉大なる皇帝……

最近ちょっとプリニウスを読み直してることがあって、なんとなく、プリニウスの記述したダイアモンドに対する項を思いだしました。
ダイアモンドの語源はギリシャ語の”adamas(アダマス)”、征服せざるもの、というのを語源としています。プリニウスはこの石を”単に宝石の中だけでなく、人間の所有するあらゆる物の中で、最大の価値を持っている”と記述します。また、同時にアダマスは毒を制し、恐怖心を退け、不要な精神錯乱などを癒す効果をもつ、と。
また、アダマスは鉄をも凌駕する硬度を持つため、かなとこで試したときには、逆にそちらを砕かせてしまうほどだとも言われていました。その性質のために、アダマスは戦士たちの守護石ともされていたそうです。けっして破られざるもの、アダマス……
けれど、当時、アダマスは決して価値の高いものとされていませんでした。なぜならあまりの硬さによって研磨不可能だったため、今知られているような屈折率の高い虹の輝きを生み出すことが出来なかったからです。ダイアモンドが宝石の王として知られるには、ローズカット、エメラルドカットを経て、ブリリアントカットが発明される17世紀を待たなければなりません。

カイザーの運命っていうのは、ダイアモンドのようなものだったのかもなあ、となんとなく思いました。
ダイアモンドはその真の輝きを手に入れるためには、カットされなければいけません。それはときに石全体にとっては非常な痛みを伴うものです。なぜって、真に輝く形にたどり着くには、石を切断し、完璧な形に磨き上げないといけない。その過程にダイアモンドのサイズは大幅に小さくなります。ダイアモンドに大きな石が稀少なのはそのせいです。ただ磨くだけで充分な色石(ルビー、エメラルドなど)にくらべて、より大きな痛みに耐えねば、ダイアモンドは真の美しさを得られないのです。
ダイアモンドは美しくなるためには、身を削り、本来の大きさと形を失わなければいけない。そしてダイアモンドを研磨できるのはダイアモンドだけ。酸もこれを侵さず、日光にも褪せることはありません。たとえ泥にうずもれようと、打ち捨てられ陽の光にさらされようと、決して滅びない。それがダイアモンド。……ダイアモンドを滅ぼせるのは、ただ、一定の角度から与えられる打撃だけです。

カイザーが最期に見せた気高さのなかに、私は、彼が自らに架した修羅の中にも滅びなかった魂を見ました。泥にまみれたダイアモンドのように、もしかしたらカイザーは、己が”adamas(アダマス)”であるという宿命ゆえに、ああならなければならなかったのかもしれません。見出された宝玉が磨かれないことがないように、カイザーは、己が天凛ゆえに、ああならなければならなかったのかもしれない。
それは哀しいことかもしれないし、もしかしたら望まれないことかもしれないけれど、その靭さ、その輝きは、彼の言うとおり、有限であるはずの人間が永遠を手にすることが出来るという、”英雄にのみ許された路”だったのかもしれません。

しっかし、本編で”パワーボンド”が出たときは、思わず「来たぁぁぁぁ!!」と叫ばずにはいられませんでした(笑
カイザーといえば”パワーボンド”。あれがあってこそのカイザー亮。フィニッシュに詰めの一打を打ちながら倒れる姿は城ノ内へのオマージュでしょうが、己の命をかけてユベルと渡り合う気迫には凄まじい迫力があったなと思いました。
すでに命がないというゆえに、”生きる”ために、死へと赴く決闘を戦いぬく…… 逆説的ではありますが、自らそれを全うする彼は紛れもなく決闘者として最も誇り高かったと思います。
最終的にカイザーはユベルをヨハンから引き剥がすという目的は達しませんでしたが、でも、ある意味だと同じか、それ以上のことをやってのけたと思います。十代と翔を、取り戻した。

十代が笑顔と、あと涙を取り戻したのが、カイザーの雄姿を見つめてのことだったというのは、なんだかすごく意味深いなぁと思いました。
”一瞬を永遠のように生きる”、その方法が違っていたとしても、それは十代の生き方そのものですもんね。カイザーはさらにその上に決闘者としての誇りを見せた。彼は『皇帝』であり、十代は『英雄』であると生き方は違っていても、同じフィールドに立つものとして、生き方は等価、命は等価。己の魂の赴くままに精一杯に生きるということが彼らにとっての”決闘”であると思い出させてくれた以上、もう、十代は路を誤ることはないと思います。遊城十代、完全復活です。
そんで、翔もまた、やっと自分のスタンスを決定しましたね。彼は非力で、だからこそ、”見届ける、語り継ぐ”という路を選んだ。でも翔はちょっと間違えてた。”語り継ぐ”ということは、シニカルになること、突き放すことではなくて、共に哀しみ共に絶望し、また、共に傷つき、それを超えて立ち上がるということだった。
ちょっと話は変わりますが、小説を書くものはキャラクターと同じように苦しまなければいけない、と書いた作家がいました。
自分が傷つくように、自分の愛する人が傷つくように、書かなければ、その物語は生きない。共に物語を生きて始めてそこに生きた魂が現れる。翔もそういうことに気付いたんじゃないかなと思いました。ただ見ているだけではなく、共に傷つき共に哀しみ、そして、共に誇りを持って立ち続ける。それができてこその”語り継ぐもの”なのですから。

このあたりがすべて詰め込まれてたんだもんなー、濃いなあ、TARN-148……

逆に、ユベルの負けは、ある意味象徴的だと思いました。過去に囚われ永遠に今を生きられないもの。永遠の子ども。「お前はもう子どもじゃない」と、カイザーに告げられた十代とは対象的に。
ユベルは徹頭徹尾カイザーのことを正面から見てなかったし、彼を踏み越えるべき踵下の石としか見なかった。いっそ卑小ですらあった。彼はあくまで精霊であって、決闘者にはなりえないからなのかな…… 
レインボー・ダークの召還条件が”宝玉トークンを墓地に”というのは予想通りでガッツポーズ(笑) しかし結局なかなか貫通しない手数合戦。宝玉トークンも出たり入ったり忙しいなー。あわただしいデッキです。でも、ある程度の手札を墓地に送らないと真価が発揮できないって、なんかそういうデッキ、最近多くないですか? アモンのエクゾディオスとか。

しっかし、完全にお姫様スタンスになっちゃったなぁ、ヨハン(笑
何かを思い出したって、世にも懐かしい”甲竜伝説ヴィルガスト”ですよ。あれもお姫様が魔物に身体をのっとられて勇者と戦うって話だったなー。
でも、真に決闘者の誇りを取り戻した十代だったら、もう、負けることはない気がする。大人になってしまった十代にはもうユベルは必要ないから。……可哀想だし、自分はそういう”捨てられた子ども”にはどうしても同情してしまうけれども、十代はきっと己の闇も従えて、真の英雄として戦うことができるんじゃないかなという気がします。

とりあえず今日はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》を聞いてカイザー追悼です。あの後、近所の本屋に走って買って来た(笑)
同時にワグナーの”ラインの黄金”も買いましたが、こっちはカイザーには似合わないなあ。退嬰の翳りを帯びた英雄の横顔よりも、いっそ、誇りと気高さによって立つ皇帝の威容のほうが彼らしい。
”一瞬を永遠として生きる”……何か誰かそういうことを言ってた人がいたよーな。思い出したらまた書こう。
最期に、彼の選んだ路を見ながら思い出した台詞を。

”「決めろ。『しかたがない』ことなどなにひとつない。選べばいい。選び取ればいい。だれもがそうしているんだ。ひとりの例外もなく、いつも、ただ自分ひとりで決めている。分岐を選んでいる。他の可能性を切り捨てている。泣きべそをかきながらな」” 《”空の園丁Ⅰ”グラン・ヴァカンス 飛浩隆》

彼ならおそらくヴァルハラへの戦乙女のまねびすらも拒むでしょう。己には己の選んだ路だけがある。なにも後悔はしていない、と。皇帝の死には死後の安らぎも大げさな墓碑銘も必要ないでしょう。
あなたは誰よりも気高かった。その振る舞いは皇帝の名にふさわしかった。
さようなら、カイザー。そして、おやすみなさい。


 

ただいま帰りました


帰還いたしました!
……山だと気温が27度くらいだったため、下界の暑さがボディーブローのように響いてます。
山いって何するって感じでもなかったのですが、星がとてもきれいでした。天の川も流れ星もおなか一杯見てきましたよ。でも、もっていったDVDが録画ミスで、見たい回のGXが入ってませんでしたorz

まあそれはともかく。
今日UPしたもんはアホだけど、アホだけど…… 堪忍しておくれ、エド。石田ボイスだから仕方ないんだ。(笑
向こうにいる間、いろいろと三期キャラとかの国籍を考えたりしていました。そもそも疑問なのがヨハンなんだよなあ。全員のつづりを推測して書いてみます。

ヨハン・アンデルセン Johann・Andersen
名がドイツ語発音なので、北欧系? だと思われます。ノース校ってことはデンマーク語圏、あるいはスウェーデン語圏の出身だと思われ。ちなみに英語風に発音すると《ジョン・アンダーソン》…… ウィキ先生によると《Andersen》は現地だと死ぬほどありふれた名前らしいので、もしかしたら、日本語で言うところの《鈴木一郎》ばりの名前なのかもしれません。

ジム・クロコダイル・クック Jim・crocodile・cook
クックの表記で若干迷ったのですが、おそらくキャプテン・クックと同じだろうと推測して《cook》。ちなみにミドルネームは愛称だと思われます。Jim・Cookじゃありふれすぎてて同姓同名が見つかる危惧があるから(笑
恐竜好きでサウスで白人で英語喋っててーとなるとどこ出身か迷うところ。でも、たぶんオージー(オーストラリア人)じゃないかなと思ってます。英語圏でワニがいて古生物学の楽園だから。さもなきゃガイアナあたりかなあ。

オースチン・オブライエン Austin・O'Brien
実は一番悩んだ人。
《Austin》も《O'Brien》も姓です。しかも、前者は典型的なイギリス姓で、後者は一目で分かるアイルランド姓。《O'Brien》は《Brienの息子》という意味で、どこからどう見てもアイルランド人って感じです。
なのにオブは黒人で元傭兵。しかも、経歴を見るとどう見てもローティーンのころから父親に連れられてジャングルをうろつきまわってます。
こうなると…… もしかしてオブは、英系植民地出身のアフリカ人ではないかと。具体的にはスーダンやガーナあたり。公用語英語のキリスト教国。調べてみると《聖オースチン》という聖人が存在するらしいので、聖人から名前をとることの多いキリスト教圏だったなら、ありえない名前じゃありません。かつ、上記の国は非常に治安が悪いため、傭兵や警備会社は一般的な仕事です。たぶんこんな感じ。

アモン・ガラム Amon・Garam
こ、この人もまた何を考えているのかさっぱり分からない名前で……
大資本の会社の御曹司で、元孤児、しかも土地柄は乾燥している感じで本人は見た目は痩身長躯のアジア系、しかも父はゴア、弟はシド、幼馴染はエコー。何やねんこれは(笑) ただし、《Amon》はれっきとしたヘブライ語系の名前で、聖書に出てくる王様の名前です。間違って《m》を一個増やすと《Ammon》になり、エジプトの絶対神《アメン》のことになり、王様と混同されて超ややこしい。ここは素直に《Amon》だと思っといたほうがいいでしょう。
中央アジア系でIT、重工業、石油などに強い企業というと、やはり、インドが思い浮かびます。さもなきゃインドネシアですが、どうにも彼は海の側の出身には見えない。カースト制の強いインドで外国人を養子に取るというのはかなり思い切った処理ですが…… 
まあ、アジアというには西すぎますが、イランとかあちらのほうの財閥出身だったら、或いはこういう名前もありえるかもしれません。よって彼は保留。ただし、名前だけならヘブライ語系だってことはいちおう押さえておきましょう。テストに出ます。(たぶん)

エド・フェニックス Ed・Phoenix
ほっとするくらい普通の名前の人が出てきて嬉しいです(笑
エドはアメリカ人さもなきゃイギリス人でガチでしょうが、きっとイギリス人だろーなー。単純にエドパパのデザインしてるD-HEROがあきらかにアラン・ムーア(イギリス出身のアメコミ作家)を意識しているからです。本人も「ヒーローはヒーローでもダークヒーロー系」と自称してたし、たぶん、『リーグ・オブ・レジェンド』だの『V・フォー・ヴェンデッタ』などを愛読してるんでしょう。ちなみに英姓は伝統があるようでかなりテケトーなので、《Phoenix》という変わった姓も探せばあるかもしれません。ちなみにエドパパのモデルと思しいアラン・ムーアは自分は魔術師であると公式に主張しているそうなので、そういう系統もアリ、だと私は思います。エドの家はおじいちゃんの代まで遡ると霊媒師だったとかね。
《Ed》は《Edmond》の愛称形ですが、人名としても定着しているそうです。愛称は《Eddie, Eddy》…… エディか…… 可愛いなあ。

なんとなく参考は『人名の世界史』より。フィクションの名前をつけるときにはネタになって面白いです。ユダヤ人の珍姓について、苗字よりも一般的な父称についてなど勉強になること一杯。おすすめです。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4582852955/250-1120280-0866610?SubscriptionId=0WVS3J53FVP9M1E7ET02

*追記
GX英語版の記事をウィキ先生で読んでいたら、ジムは向こうだとオージー訛りキャラらしいです。やっぱりな…… ちなみにヨハンは”ジェシー・アンデルセン”、南部訛りで喋る子らしいです。何人だお前。
エドは”アスター・フェニックス”、アモンは”エイドリアン”、オブは”アクセル”だそうです。十代は”Jaden Yuki”…… なんて発音するのか分からないorz