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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 03/29/20:43

いちまんごせんひっと…?


お久しぶりです。

前ジャンルの友人、某様がGXにどハマりしているのをみてほくそえんでいます。
「恋心を認めて三日で相手に死なれました」(彼女の本命はジム)というメールが来たときには大笑いでしたが…(笑
そんな彼女にネタ話をしていて、それ書いてくださいーといわれ、「じゃあ、15000HITを狙ってください」と言ったら、「もう過ぎてません?」といわれてあわててカウンターを見たら… 過ぎていました15000。
このサイトはカウンターの周りが早すぎて、正直、怖いです(苦笑)

そんで、昨日は彼女と十代語りをしていたわけなんですが。
「十代は自分の持ってるものをなんでも人にあげちゃう子だ」という話と、「運命によって力を与えられたものは、その本人の人格如何によっても、力の器としての生き方をせざるをえない」という話をしておりました。
十代は、三期を総合して見ていると、ようするに「勇者」みたいなものだと思ってもいいんだよね? というのが今の感想であります。
勇者というとオブが出てきますが…(笑 まあ、つまりはドラクエにおける勇者みたいな。すべての人々を護るために力を持って生まれてきた存在。生まれながらの英雄。
でも、ドラクエだと特に4で思ったのですが、「勇者」として生まれつくってのは、人間的には必ずしも幸せなこととは言い難い。
決して己が交わることができない人々の幸福のために、己の人生も、心も、命も、すべてをささげる。後々の世に語り継がれる存在となることが出来る代わりに、勇者には人間らしい生き様なんて、存在しない。
以前、二次創作で書こうと思った言葉が、あてはまるなあと思いました。
「勇者とはすなわち、天命の器にすぎない」
十代も、何かこう、人間ではなく――― ”天命の器”に過ぎない、という運命が見えつつあるなあと思いました。
でも、そこで、己の定めのためにすべてをささげることのできる強さと孤独さをもったカイザーみたいな人でなく、天真爛漫で無邪気な、子どもみたいな十代がそうなったってことが切ない… と言っていたら、某様からは、「そういう子だからこそ天命の器になれたんでは」というすばらしい慧眼が。
でも、何の覚悟も、正義も、誇りも持たない十代が、あえて”覇王”であるっていうのは、なんとも残酷なことでもあるなあと思います。しかも十代は”闇の勇者”ですものね。

闇ってのは、一様でないことの別名だと思っています。
純白で、一様で、すべてを燃やし尽くす力を持った”光”に対応するものとしての”闇”。
母なる闇と語られると同時に、あの世界における闇ってのは、時に人を喰らって破滅させる力を持ったものでもあるわけです。創造と破壊、愛と憎悪、慈悲と残忍、そのすべてがるつぼのようにどろどろと溶け合った強大な力… それが闇なんじゃないかと。
闇ってのは、エントロピー増大の法則へと逆らう、生命の別名に他ならないんじゃないかしら。猥雑で淫蕩であり、ありとあらゆる罪と、その母胎たりうる生命そのものの持つ生きるということへの欲望を意味するもの、それが闇。何もかもを飲み込み砕く”虚無”ではなく、すべての母胎たりうる”混沌”としての闇。
そういう闇そのものを、あるがままに受け入れ、己を器としてその力を行使する――― それは確かに、普通の人間には無理なことなのかもしれません。人間らしい、人間の心では、その闇に呑まれて、消滅してしまう気がする。
だからこそ十代なのかしら。力を持ちながら戦う意思を持たず、愛することを知りながら愛されることを知らない。そういう無垢な… 別のいい方をすれば、”空っぽ”の器じゃないと、ここまで強大な力の器にはなりきれないのかしらん。

十代って、正義をもたない子だよなあと思います。
正義というか、”義”というのか…… 十代は統一された行動理念を持ってない。強いていえば”デュエルしたい”であり、そのための友人たちを護りたい、っていうだけ。
カイザーみたいに強さを求めるわけでなく、エドみたいに己の定めに殉じるということへの誇りも無い。たった一度、十代が自分の求めるがままに動いた三期の異世界編は、とんでもない惨劇となってしまったし……
やっぱり、あの子はただの天命の器にすぎないのかもなあ、と昨日いろいろ話しながら、ぼんやりと思いました。
でも、仮にただの天命の器として生まれてこさせたのなら、なんで十代にも生きていくことのささやかな喜びが与えられていたのか……
友を愛する幸福、デュエルすることの喜び、何かを食べたりスポーツをしたりというさらに小さな幸福。そういうもののすべてが、奪われるために与えられたんだったら、いくらなんでもそれはむごいってもんじゃないですか、神様。

ちょっとマニアックなネタになると、十代は、FSSにおけるクローソーみたいなものだというね(笑
「人間みたいに恋だってしたいの…」とつぶやくクローソーみたいに、ただの天命の器として生まれたのなら、なぜ、そのような想いを与えたのか。
ユベやE・HEROたちみたいな精霊だけを愛して、人間との友情や愛なんて知らなければ、その定めに哀しむこともなかったでしょうに、なんだってこんなことになってしまったのか。

勇者の生き様というのは、ときに、悲劇にほかならないものとなります。

と、まあ、こんな話とかをしていたのですよ!!
あとはかぐや姫パロとか、某様は覇ジム十の三角関係(体は二つ)なんかが見たいとおっしゃっていたのですが。
あー、あと、FSSパロもちょっと書いてみたいなあ… ファティマな十代…
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