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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 02/24/12:59

GX曲解論考《1》 対称としての三期ドラゴン


旅行に行ってて留守になるはずだった今週末だったのですが、予定が変わって家でヒマをもてあますことになりました(苦笑)
まあ、これでURLの発行も通販処理も出来るから、いいかな!

昨日のチャットはGXが事実上のクライマックスということで、いろいろと楽しかったです。話題としては以下みたいな感じ。
・曲解とこじつけによる遊戯王GX論
・GX偽神話(笑
・自重している吹雪さんがカッコいいことについて
・自重しすぎな吹雪さんが健気なことについて
・パラレル三期・吹雪さんが、藤原に対するような態度を、覇王様に対してとっていたら
・自重しない吹雪さんのセクハラ伝説について
・ヨハルビーとルビーヨハンについて
・GXにおける《絆》などの描き方についての総括的な意見交換
・GX四期の裏事情をいろいろ考える
・今後、最終回の予想
あれ… なんで十代受中心サイトなのに吹雪さんまみれなんだろう…(笑

でもクライマックスへときて、いろいろとGXについて考えると、面白くなってきましたね~。みんな夜明け前のテンションで語りまくって(笑 ラスト近くはいろいろな名言や考え込むようなご意見をいただけて、面白かったです。
「《十代の孤独》に共感しすぎちゃいけないと思う」って言ってくれた方がいて、これはけだし名言。(レスないのでどなただったか分かりません(汗) 勝手に引用すいません)
それとはまた別に、GXをストーリー類型分析とかしてみたり、モンスターを神話学ぽく考えてみたりと、曲解とこじつけはオタクのたしなみ! といわんばかりの雑談がとびかって楽しかったです~
で、その中で、「”主人公”ではない遊城十代について」と、「レイドラとユベルを対として考えてみる」が面白かったので、なんとなく書いてみようと思います。名づけて、『GX曲解論考』!(笑

そんで、第一回はレイドラとユベルについてでーす。

今、手元にあるDVDボックスで三期を見直しているんですが、ちょっと妄言がてら言ってみた「そもそもレインボードラゴンとユベルは、もともと対照的なドラゴンとしてデザインされていたのではないか」という話が、なんとなくリアリティを持って考えられてきたので、いろいろと語ってみます。
この二匹(二人? 二体?)の関係において、一番気になったもの。それは、”名前”です。
遊戯王シリーズでもっとも伝統的な《対となったドラゴン》というと、当然、《真紅眼の黒龍》と《青眼の白龍》の二体だと思われます。ストーリー上も、初代遊戯王映画版だと完全に対照的なドラゴンとして描かれ(ブルーアイズは勝利をもたらすが、レッドアイズは可能性をもたらす、とか)、実際にOCG展開としても、ほぼ、同じような性格のカードが発売されている印象があります。(”黒炎弾”&”滅びのバーストストリーム”、”真紅眼の闇龍”
&”青眼の光龍”、実は”黒龍の雛”と”正義の味方カイバーマン”もほぼ同じ効果)
んで、レイドラとユベルがそこまで対照的か…っていうと、ンなこたあない(苦笑 ですが、デザイン上、さらにネーミング上の問題を出してくると、話がとたんに面白くなります。

それぞれ、ユベルとレイドラの正式な名前を並べると、”ユベル”(悪魔族・闇属性)と、”究極宝玉神 レインボードラゴン”(ドラゴン族・光属性)となります。んで、実際はユベルは龍族ではないんですが、第三形態が”《ユベル-Das Extreme Traurig Drachen》(深き悲哀の龍 の意?)なので、暫定的にドラゴンとして扱います。
《ユベル》のつづりは《Juwel》と推測され、これはドイツ語で『宝石・宝玉』の意味。そして、三期頭を見てみると、ヨハンが登場してレイドラの名前を出すのと、ユベルの登場が示唆されるのはほぼ同時です。この二体は、三期においては、そもそも伏線として冒頭から存在しているのです。
そして、デザイン上を見ると、以下のような特徴を曲解できます…(笑

ユベル:闇 女性的 西洋龍 偶数 悪魔的(うろこ・毛皮・爪・コウモリの羽など)
レイドラ:光  東洋龍 奇数 天使的(光属性・鳥の羽毛・白を基調としたカラーリング・光輪)

注解として、『女性的』というのは、ユベルのキャラクターから出されると分かりやすいかと。当初、ユベルは一人称を「私」といい、十代のことを「愛しい人」と語るなど、はじめっから十代にたいする執着(愛欲・行き過ぎた母性愛を連想させる)を前面に押し出してます。そんで、ユベルは常に闇の中から現れます。心の闇、地下の闇、地下研究室のシリンダー、など。
対して、レイドラが登場するときは、常に「光・宝石・虹」のモチーフが用いられ、非常に神々しい雰囲気が常に連想させられていました。まだレイドラ未登場のヨハン初デュエルですら、「レインボードラゴン召喚!」のときには、虹と光のエフェクトが用いられています。
『偶数』『奇数』というのは若干わかりにくいですが、ユベルは常に『2』であり、対してレイドラは『7』であると考えてください。ユベルは『男性であり女性』であり、『二首の邪龍』でもあります。そしてレイドラは虹の七色を象徴色としているだけでなく、額には『一角獣のような角』を持っています。
そして、ユベルは「手足があり、尾を持ち、複数の首を持つ」というキリスト教におけるドラゴンの伝統的な姿を踏襲したデザインであり、レイドラは「蛇のような身体、手足が少ない(もしくは無い)、空を飛ぶ」という東洋における龍を意識したデザインとなっている… 

あと、レイドラとユベルが対になると考察した理由に、「頭部」のデザインがあります。
ユベルは龍なのに角が無く、額には特徴的な「縦に開いた眼」を持っています。対して、レイドラはユニコーンのような一角ドラゴン。額には「長く尖った角」…
伝統的に、『眼』というのは『喰らう女性』の象徴とされており、『一本の角』は男根の象徴とされている、ということをなんとなく考えてみました。しかも双方同じ額という部分。
妄言だからあんまり真に受けないで下さいね(笑

まあ、このあたりを踏まえて考えると、ユベルは「地に落ちた・汚れた・母性的な存在としての地母神としての龍」であり、レイドラは「天を行く・清らかな・天使的な存在としての龍」として対象化されてたんではないかな、と思ったのです。
実はドラゴンは、そもそも、多くの古代神話では、「女性」であり「地母神」であった… と考えられています。
中国においては天地創造の女神「ジョカ」、メソポタミアの母神「ティアマト」、ギリシャ神話においてはすでに悪魔的存在となっていた「エキドナ」「メデューサ」「ラミア」… これらの女龍神たちは、本来は、すべて「恵みをもたらし、同時に、滅びをもたらす大地」の象徴である母たちでした。
蛇というものは、なぜか古来、多産の象徴であり、再生の象徴とされて、多くの古代信仰において、豊穣をもたらす女神と同一視されていたと考えられております。実は日本も例外ではなく、トヨタマヒメ(乙姫)の正体はワニザメであり龍であると考えられたり、ヤマタノオロチがクシナダヒメを喰らう神話はそもそも同一視されていた女神がふたつに分けられたのだとも考えられている。
ですが、これらの地母神たちは、父権社会が確立すると同時に、「淫乱で汚れた存在」として、闇の住人…つまり、悪魔として遠ざけられることとなっていきます。まあ理由は簡単で、これらの地母神の信仰は、非常にカオティックであり、同時に、エロティックなものでした。母である女神は息子と交合して子孫を残す。でも、そういう家族形態では、いつまでたっても「父」がトップに立てません。
その結果、豊穣の女神である蛇は、「イブ」と「サタン」に分裂し、地獄をその棲家とすることとなり、母性愛と性愛が渾然一体となった古代的な愛の原理は「淫乱の罪」とされてしまう。メデューサの首は切り落とされ、女性性を欠如した女神アテナの盾の上に移されて、こうして「地母神としての龍」は「悪魔としてのドラゴン」となったのです。

でも、人は信仰対称としての「ドラゴン」を忘れることができなかった。この展開は、東洋だとより穏便なものとして進み、東洋・南アメリカ・オセアニアなどでは、「龍」はゆっくりと男性化されて、より温和でおだやかな神となっていきます。
中国の「龍」は、皇帝と同一視されており、多くの場合「男性」とみなされますが、実は彼らが女神「ジョカ」の子孫であったことからわかるように、実は女神の息子たちだということがわかります。(そして、多くの場合はなかったことにされてますが、「龍」もまた、激しく淫乱な生き物だとされます)
東洋龍、南アメリカにおける龍、オセアニアにおける虹蛇は、皆、なぜか「天候神」としての性格をもちあわせています。…なんでなんでしょうねぇ?(笑 地面を這い回ってる蛇は信仰の対象としてふさわしくないから、空へとおいやられてしまったのかもしれません。
雨をもたらし、水をもたらし、恵みをもたらす存在、それが東洋の龍です。そして「雨の弓(レインボウ)」は多くの場合、「雨とセットになった神秘的な存在」として、龍とセットにされました。もっとも、虹自体はかならずしも吉兆とはされなかったのですが…
「虹」という字は、分裂させると「虫」と「工」になります。中国の古字だと、「虫」ってのは「蛇」のことでした。そもそも、「虹」は「龍」なのです。

でも実は、この時点だと、西洋の悪魔となったドラゴンと、東洋の神である龍は、別々の存在であり、実際、あんまり関係ありません。ところが、文化人類学や精神分析が生まれ、さらに、フロイトなどの象徴的なイメージがファンタジーに頻繁に持ち込まれ、二つが混ざり合っちゃった19世紀以降のポップカルチャーでは、二種類のドラゴンは、「悪魔としてのドラゴン」「神としてのドラゴン」として、二つの極として同居するようになってしまったのです。

ちょっとこじつけ風ですが、わかりやすいのが、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」です。
あんまり知られていない事実ですが、エンデは神秘思想家であるルドルフ・シュタイナーの強い影響下にある作家です。シュタイナーは神秘的なヴィジョンを精神分析や神話学からひっぱりあげてきたという歴史もあり、エンデの作品はそのへんの思想をかなりの割合でイメージソースにしています。
そして、エンデの作品には、「悪魔である西洋龍」(倒されてしまうので、代表的なイメージが無い(汗))と、「神である東洋龍」である「幸いの龍・フッフール」が同居しております。ここらへん、非常に現代的だといえるでしょう。

そんで、三期のGXでは、この対称的な二体のドラゴンが、冒頭から姿を見せている…
そして、この二体の相克の中心にいるのは、いうまでもなく、遊城十代その人です。
三期GXは、十代が二体のドラゴンと出会い、そして、双方と和解し、従えるまでの物語、として考えることもできます。だって彼は「悪魔としてのドラゴン」に食われて取り込まれてしまった「神としての龍」を取り戻しただけでなく、その力を借りて「悪魔としてのドラゴン」との和解すら果たしたんですから!
十代は、そもそも、キャラクターコンセプトとして、「和解」というモチーフをもちあわせてるキャラです。彼は常にキャラクターとしての宿命として、「理解」し、「和解」し、「融和」するのです。なんといっても、十代といえば『融合』ですからね。

”天・地・人”や、”過去・現在・未来”、”父・母・子”などの『3の倍数』は、『対立し不安定な”二”』、『停止している”一”』と比較して、バランスの取れた状態、調和し、全体が上手く循環している様子を表します。
冒頭では、『闇としてのドラゴン』『光としての龍』が対立し、不安定で波乱を含んでいた物語… が、最終的に融和と和解を果たし、『安定した三位一体』へとたどりつく、という風に解釈すると、三期GXはすぐれて神話的です。

…長ッ!(笑 でも続く!
次回は、ゆべやん、ヨハに続いて、十代についてちょっと考察してみます。資料あつめよう。ご意見ご感想もおまちしておりまーす。

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