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薄暮都市

同人・女性向けの話題専用のブログ ジャンルはよろず。遊戯王・DFF・バサラなど。 ときどき、アイマスや東方などの話も混じりますのでご了承の程を。

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  • 04/27/07:13

天才というかなしみ


別ジャンルで知り合ったお友達と話していたんだZe☆
そこで、《それしか才能の存在しない、不器用な天才キャラ》という子たちについてのお話となりました。

まあ、GXだとカイザーだよね… 以前ジャンルだとメインキャラのエースピッチャーの子(野球漫画だった)が、不器用というか、生きていくために必要な才能をまるごともってないような子だったので、彼らのお話をしてました。
たったひとつ、神から貰ったとしかおもえないような才能を持っていて、でも、それ以外だと人間として不適格者っていうくらい不器用極まりない。無骨な努力家タイプで、でも、その一点の才能においてはあまりに秀でているので、周りからは「神に愛された人」と思われてる。あるいは、傲岸不遜で己のみしか尊敬するものが無い人だって。
でも、実際はそういう人には、「天才に生まれてしまったというかなしさ」というものが存在してると思うのです。
たったひとつ、その才能だけを与えられたために、彼らが、どれだけのペナルティをこうむってきたことか。
カイザーの場合は、あの無骨でストイックな性格もあって、周りから誤解されまくっていたという悲しさがどうしてもあると思います。翔ちゃんとの関係なんて最も足るものだと。
翔ちゃんとカイザーと、どっちのほうが生きることが上手かっていうと、言うまでもなく翔ちゃんだと思います。
あの子は臆病で卑屈だったけど、人の顔を正面から見て話すことのできる子だった。誰かに甘えたり、逆にえばってみせたり、あるいは、自分に対して不要になった人のことを自ら棄てたりすることができた。
でも、カイザーはそれが無理だった。あの人はデュエルしかない、あるいは、そう思い込んでいたから、あんな風に自分をボロボロにするまで、あの世界にしがみついてることしかできなかった。

まあ、これは他の作品のキャラの子のほうがいえる話なのですが。
「天才」ってのは、その、天与の才を失ったとき、自分には存在価値もなくなると思っちゃうものだと思います。
たとえばカイザーはデュエルができなくなったら… 野球の投手だったら投げられなくなったら… 何か、とてつもなく恐ろしいこと、悪いこと、世界が終わるくらいひどいことがおきると、思い込んでしまう。
自分が死ぬよりもっと悪いことは、その「才能」を失うことだって、普通の人とは逆だとしか思えないことを思いこんでる。思い込んでるというよりも、それは、強迫観念だと言ったほうがいいですね。
才能を持ってるってことは、才能に縛られるってことで、それ以外の生き様が、どうしてもできなくなってしまう。

「才能」ってのは、「呪い」に他ならないと思います。

それを持ってるために、生涯、それに縛られ続けないといけない。たとえ正面から向かい合っても、逆に尻尾を巻いて逃げ出しても、己の「才能」からは逃げられない。
しかも、世の中には、「天才」なんて人種は無数にいるんです。正面から向かい合って、必死でくらいついて、自分の「才能」っていうもろい剣だけを持って、戦わないといけない。それも苛烈な生き方だと思うのです。
何も持ってない人は、「持ってるならいい」というかもしれないです。天才だってことは、何も無いことに比べたら、はるかにすばらしいことだって。
でも、たぶん「天才」のほうは、己の才能っていう呪いの重さに疲れ果てたとき、やっぱり、思ってしまうと思います。
こんなものなんて持って生まれてこなかったら… ごくあたりまえの普通の人間として、人の間にまぎれて、精一杯に努力して生きられたら。
それは傲慢極まりない考えなのかもしれないです。でも、彼らにとっては、おそらくは非常に切実な、「天才であるというかなしみ」に他ならないのだろうなあ、と思いました。

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