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第178話 明日は、きっといい日
昔ぼくはアニキに聞いたことがあった。
もう二度と朝がこないんじゃないかと思うような夜。明日なんてぜったいに来てほしくない夜。明日ってものが来るのが怖くって、涙がでてきて、とまらないような夜に。
そしたらアニキはベットから這い出てきて、ぼくに、机のなかに隠していたチョコを出してきてくれた。一枚の板チョコをぱきんって半分に割って、片方をぼくにくれた。
そうして、アニキは言った……
「あのさあ、翔、もしも明日、世界がなくなっちまうとして、そしたらこのチョコ、美味くなくなる?」
とうとつで、意味がよくわからなかった。ぐずるようなことをたぶんぼくは言ったんだろう。
でもアニキは、横に座って、チョコを食べながら、にこにことぼくに付き合ってくれていた。
「一週間後だったらどうかな。一ヵ月後だったら? 一年たったらこの世界がなくなっちまうって分かってたら、チョコがまずくなるのか?」
ンなこと、絶対にないんだよ、と言って、アニキは笑っていた。
「明日さあ、なにもかもぜんぶなくなっちまうとしても、今食ったチョコは美味かったんだし、昨日の晩飯のエビフライが美味かったってこともなくならないんだよ。
生まれて初めて食ったケーキが美味かったってことも、みんなで実習で作ったカレーがスープみたいになっちまって面白かったってのも、嘘になんかならない。どんなことがあったってさ、《いいこと》があったってことはさ、なくなったりしないさ」
「…前向きだよね、アニキって」
「ンなこたあない。単に、食い意地張ってるだけだ」
アニキは胸を張って言った。ぼくはあきれて、それから吹きだした。泣きべそをかいて赤くなった眼のまま、アニキといっしょに笑ってた。
あれからずっと時間がたって、アニキはたぶんもう、あのときみたいにバカみたいなことをいって笑わなくなった。
僕にはあいかわらず明日がおそろしい。明日、もしかしたら何もかもなくすかもしれない。誰もかもぼくのこと見捨てて去っていくかもしれない。なにもかも全部、悪いことになるかもしれない。世界がおわるみたくに。
でも、たまに思い出す――― アニキの言ってたことはほんとうだったんだって。たとえぼくとアニキがどんなに変わったって、あのとき食べたチョコがおいしかったのは、二人で笑いあったのは、胸があったかくなって救われたような気持ちになったのは、嘘になんてならないって。
明日世界がおわっても、なんにも、嘘になったりなんかしない。消えてなくなったりしない。
今日、窓を開ける。いいことがあるか、悪いことがあるか分からない一日のはじまり。
でも、僕は思う。いいことがあっても、悪いことがあっても、今日っていう一日は、これからはじまって、もう、何があっても消えることは無い。
今日の空は、青く晴れている。空気は澄んでいる。名前を知らない雑草が、ちいさく花を咲かせようとしている。
さあ、”今日”をはじめよう。どんなことがあるとしても。
だって今日も空は青いし、それに、ぼくはこうして生きているんだから。
**********
今回の話は… まあ、GXらしいカオスでしたね(笑
このテのアニメの内容を額面どおりにうけとってはいけない。なんとなく、スタッフの言いたいことが総合的に分かってきたような気がするGXのクライマックス。
十代の言葉や、ちょっと前の吹雪さんの台詞、それからダークネスの言ってたこと、なんとなく総合すると、こうなる。
明日、どんなことが起きるかわからない。もしかしたら何もかもが台無しになるかもしれないし、恐ろしいことが起こるかもしれない。
信じた人に裏切られるかもしれないし、努力したことが全部無駄になるかもしれない。昨日までいっしょうけんめいやってきたことが、全部台無しになるかもしれない。
生きることはがんばることで、生きている限り、明日がおとずれる。何もかもを棄てて闇に眠らない限り、明日は来る。どんな恐ろしいことが起こるかもしれない明日へ、疲れ果てても、倒れそうになっても、一歩一歩、歩いていかないといけない。
そんな世界は怖い。恐ろしい。だったらいっそ、このまま、幸せで護られている子どものまま、全部をストップさせてしまいたい。
…えー、その昔、うる星やつらの映画版で、『ビューティフル・ドリーマー』というカルト的傑作がありまして(笑
あたるや、周りのみんなと、文化祭の準備でてんやわんやの日々を送ってるラムちゃんが、「うち、ずうっとずうっと、ダーリンやみんなとこうしていたいっちゃ」と願う。
そうしてそれが叶い、物語は、決して終わることのない”文化祭前夜”の中で巡回を始めてしまう… という作品です。
モラトリアム、ってものについての絶対的な憧憬。学生時代に象徴される、「楽しくて、みんな仲良しで、明日ってものがキラキラしてみえる日々に、永遠に留まりたい」っていう願望を映し出した作品でした。
最近だと、クレヨンしんちゃんの『オトナ帝国の逆襲』もちょっとそれに似たテーマでしたね。
楽しくて幸福な子ども時代=学生時代 そこに永遠にとどまりたい。永遠の放課後で、ずっとずっと、おとずれない未来のキラキラした輝きに手を伸ばさないまま、幸せに暮らしていたい。
そんで今回なんですが。
《なんかキラキラして見える、大人になった日の未来》なんてものは幻想であり、現実にあるのは、《真っ暗闇の中で、どんな恐ろしいことがあるか分からない不安に満ちた明日》っていうものだ… ということ、ようするにダークネス=みんなの不安 が言っていたわけです。
たった一人だけその闇に飲まれなかった十代は、誰よりも強いから、明日を恐れない。十代みたいに強くないみんなは、明日が来るのが怖いから、子どものままでいたいんだ、っていう話だった。
でもそれに対する十代の回答は、「俺は強くなんてない」っていうものでした。
明日は怖い… 何が起こるとも分からない。
今握り締めた絆も壊れてしまうかもしれない。夢はかなわないかもしれない。あたたかくて幸福なこの居場所もなくなり、何もかもが見えない世界が、目の前に待っているのかもしれない。
でも、昨日楽しかったこと、昨日みんなで幸福を分かち合ったこと、昨日、《明日》を信じていたことは、何が起こったからって失われることはない。
明日は、必ず訪れる。けれど昨日は決して裏切ることはない。
喜びも楽しみも、悲しみも怒りも、すべてが血となり肉となり、自分の中にある。
絆は失われることはない。絆はすがるものではなく、胸に抱きしめて、前へと進む力とするためのもの。
…だから、明日も生きよう。きっと、またあたらしい、何かと出会えるはずだから。
この台詞を十代が、もっというと、二十代が言うってのが、なんともいえない感じがします。
母でもあるユベルと切り離され、世界でたった独りぼっち。すでに十代は、この世界がわけのわからない恐ろしい可能性に充たされてることを知っていて、他人が自分を傷つける可能性も、自分が他人を傷つける可能性も知っている。そのうえ彼はもう、人間ですらない。
でも十代は、「昨日はいいことがあった。明日も、きっといい日だ」と言った…
「カードを信じる、デッキを信じる」っていうのは、カードと共に歩んできた日々を信じることであり、握り締めることである。今日の絶望が、すべての過去を破壊することはできない。絆はそこにあり、希望もそこにある。何もかもが自分の外にあるのではなく、大切なものは心の中にある。
…なんか今日はセンチメンタルになりすぎましたねぇ(笑
しかし、やっぱり気になったのは、十代はどこまでいっても《狂言回し》であって、《主人公》とはなりえない、っていう事実です。
不安だけれど可能性のある明日を待っていたのは、翔ちゃんであり明日香さんでありじょめさんであり、十代ではない。
一緒にみてた弟が、「これって、ダークネスと戦うべきだった人って、十代じゃなかったんじゃない?」と言ったのがすごく印象的でした。
私もまったく同じ意見です。こういうものは、本来、個々一人づつが己の中で戦うべきものであって、誰かに助けてもらうものじゃない。まあ事実、闇堕ちした皆は十代の呼びかけに答えて、自分の力で帰って来たのですが…
みんなは、明日を選んだ。というよりも、文字通り「人生をサレンダー」しないかぎり、明日ってのは誰にでも来ちゃうものなんですけどね(苦笑
でも、それを呼びかけた十代自身の明日ってのは、どっちにあるのでしょうか?
GXも最終回まであと二回…
このお話が、最後の最後に、「遊城十代の物語」を語ってくれるのか。
それとも、彼はあくまで「十代」でありつづけて、皆がティーンエイジャーを卒業すると同時に、物語そのものからひっそりと退場させられる運命なのか。
GXってのは、スタッフの野心(というか、やりたいほうだいの自重しなさ(笑))が、個人的にものすごくヒットする作品でした。こういう作品はホビーアニメだとかにたまに現れる。そこが私がホビアニが好きである理由だったのですが。
最後の最後で、全部ひっくりかえっちゃっても仕方がない。でも、私はGXスタッフなら、きっとやってくれると信じたいと思います。
十代の明日は、どこにあるのか…
来週、楽しみにしております。
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